前田管楽器教室 Brass&Wind Instruments Labo



これに乗って、逃げ出すしかない!



これだとちょと、おそい…。

トランペット・コラム〜日々、感じることなど


大きい音と、小さい音

日本では、いまだにあらゆるレベルで、「音の大きいことは、いいことだ」という固定観念がある。
これは、とんでもない間違いで、むしろ小さいほうがいい。

小さいといっても、ただ小さいだけでは、弱々しい音になる。
息の圧力がかかった、ソフトな音、というのが正解だ。

そういう音は、ちょっと聞くと、心地いいだけで、けっして刺激的ではない。
ところが、いざマイクに向かって吹くと、すごい迫力になる。

これが、ウィントン・マルサリスやウォレス・ルーニーがやっていることだ。
彼らの生音を近くで聴くと、とてもやわらかく、ささやくようである。

しかし、いざマイクに乗ると、音の密度が違うから、ものすごい破壊力を生む。
音の立ち上がりかたが、違うのだ。

日本のバンド指導者に、残念ながらこのあたりの理屈をわかっている人は、非常にすくない。
むしろ、仲間内によく聞こえる、張り裂けるような音が、尊ばれるのが現状だ。

みなさんの周りにも、そういう指導者、プレイヤーが多いのではないか。

セクションの中に、一人だけ馬鹿でかい音を出し、周りの音を消してしまうようなヒトはいないだろうか。
もしいたら、ひとつだけ、解決方法がある。

そこから今すぐ、逃げ出すのだ!(笑)



◆音のスピード

前項に関連するが、むろん、フォルテの指示がある個所では、ラウドに吹かなければならない。
しかし基本は、mpとmfの中間だ。

また、口の中を大きく開けて吹く人がいるが、音にスピード感が出ない。
重たい、愚鈍な印象を与える。

現代では、口の中を小さく保って、細く吹くスタイルが、世界標準だ。
そのほうが、速いフレーズや、上下の動きに適しているからだ。

歯と歯のあいだを大きく開けて吹く人は、細かいフレーズが吹けない。
もはや、起床ラッパくらいしか、役目がないかもしれない。
だから、正直に言っちゃうと…、

ユー、ちょーカッコ悪〜い!(爆)


そんなこと本人には言いにくいという人は、

今すぐ、逃げ出すしかないのだっ!(再爆)



うるさいバンド

うるさい理由には、いくつかある。
おもに、2点。

@全員の吹き方が間違っていて(つまり力んでいて)、全体が、騒音状態になる。
これは、横のプレイヤーの音が大きすぎ、煽られて自分も吹きすぎてしまう場合も、ある。
えてして、それが周りに波及する。

Aビッグバンドなどに多いが、ギターやベース、キーボードはアンプを通して音を拡大しているのに、管楽器にはまったくマイクがない。
管楽器を生音でいくのだったら、ベースやギターの音量も、アンプレベルを最小限にしなくてはならない。
これは、音響係の責任でもある。

こういう状況で陥りがちなのは、「あれ、おれの音は小さいのかな」と不安になることだ。
逆である。
聞こえないほうが、正しいのだ。
その環境で客席に聞こえる管楽器は、間違いなく、オーバーブロウしている。



ハイ・ノートの不思議

金管楽器とは不思議なもので、熟達した人の音ほど、金属的ではなくなる。
心地よく、やわらかい響きになる。ずっと聞いていられる。

いっぽう、技術のない人ほど、いつまでもパリパリとした金属性の要素が抜けない。
いわゆる、ブリキを擦ったような音である。
すると、どういうことが起きるか。

クラーク・テリーのハイGよりも、リー・モーガンのハイDのほうが、高く聞こえてしまう!
とくに、素人受けがすごい(素人という表現はあまりよくないが)。

これが、「ハイ・ノートの不思議」である。

その後、リー・モーガンは25歳を過ぎて音が出なくなり、クラーク・テリーは80歳を過ぎても高音を軽やかに操った。
私は、音楽的にははリー・モーガンのほうが好みだが、演奏技術を盗みたいのは、テリーである。
33歳で愛人に射殺されたモーガンは、すでに音が出なくなっていたので、音楽家としてはある意味、幸せだったかもしれない。



日米のホーンセクションの違い

以下に、アメリカの一流オーケストラと、日本のトランペットセクションの音の出方を、図式化してみた。

@は、一つ一つの音に芯があり、響きあっている。対してAは、りきんでプレスして吹いているので、全体がうるさい。
これが、私が、日本のバンドを聞くに堪えないとする理由である。
”トップ”と言われるレベルでも、同様である。





ほっぺたを膨らます

たまに、ほっぺたを膨らまして吹く人がいる。
もちろん、本人がそれで満足なら、その人の自由である。

しかし、それはその人の、単なる癖であることが多い。
また、聞く側に回れば、輪郭のぼやけた、重たげな音でしかない。

「自分は頬を膨らますことで、音をふくよかにしているのだ」
と主張する人が、いるかもしれない。
それなら、ほっぺたを膨らまさず、マウスピースを大きくした方がいい。

なお、ディジー・ガレスピーの音が重たくならず、スピードがあるのは、圧倒的な息と、その圧力があるからで、平均的な体格の日本人が、真似するべきではない。

効率的に、そして機能的に演奏するには、口の中はつねに狭く保つべきである。
現代のように「スピード」が重視される時代にあっては、なおさらだ。



危惧される傾向

昨今の学生の定期演奏会では、音楽だけでなく、「ダンス」も披露するようだ。
これは、たいへん危惧される傾向だ。

音作りもできていない段階で、作り笑いをうかべて踊ったり歌ったりしている。
まるでどこかの国の、子供たちのようだ。

学生レベルで、集客を目的にするべきではない。
真摯に音楽だけに取り組むべきだ。

本人たちが自発的にやっているならまだいいが、もしこれを、教師が指示してやらせているとすると、言語道断である。
中には、踊ることに本意ではない生徒もいるだろうから、気の毒である。
そういう人は、ぜひ、同調圧力に負けず、「私はおどりません」と、宣言してほしい。



◆料金を払って観る

全国で、入場無料のコンサートが増えている。
そこには、いい面と悪い面がある。

そういうものだけに接していると、耳が「そんなものだ」ととらえてしまう。

地方都市でいい音楽や演奏に接する機会はなかなかないが、時間とお金の余裕のある方は、ぜひ、「ブルーノート東京」や「サントリーホール」などで、本場の音に触れてほしい。
そして、できるだけ至近距離で、生音がどんなふうなタッチで、音量で出ているかを、確認してもらいたい。

おそらく、驚かれるだろう。
しかしそれが、飛躍的な進歩のきっかけになるに違いない。

高い入場料は、それ相応の音と音楽で応えてくれる。



◆どなりといらだち

テレビでよく、吹奏楽部の指導者が生徒をどなりつけ、生徒は涙を流し、あげくに「オーディション」と云われる謎の選抜試験で、合格しては喜び、落ちては悲しみ、しているのが放送される。

あれは、たいへん、ばかばかしい。

どなったり、苛立ったりしている指導者は、自分の管楽器に対する無理解・無能力さかげんに苛立っているのであって、決して原因は、生徒側にあるのではない。

生徒は、上達の速度に個人差はあっても、適切な「仕組み」を学べば、だれでもうまくなる。
いわば、可能性の宝庫である。

考えてみてほしい。

その先生が、うまく楽器を、あなたの前で吹いて見せたことがあるだろうか。
もしないのであれば、吹けないに違いない。

自分は吹けないのに、生徒に対して怒るというのは、悪い冗談以外のなにものでもない。
そんな部活からは、さっさと足を洗うべきだ。

なお、楽しい先生ならば、続けてもいいだろう。



理想型の一つ

以下の映像は、リンカーンセンター・ジャズ・オーケストラである。
トランペットは、手前から、マーカス・プリンタップ、ケニー・ランプトン、ライアン・カイザー。
奥に座るのが、ウィントン・マルサリスである。

途中で3人のバトルが展開されるが、音質が同じであることがわかると思う。
そして、ハイノートが音量でなく、スピード(真ん中に集めた、細い音)であることも。
とても、静かである。

https://youtu.be/CL0HgC1jbNI



練習の効率

その日練習を開始して、30分経って、余計に唇が硬くなる(振動しなくなる)ようでは、そのアップ法は間違っている。
正しい練習をすれば、10分後より30分後、30分後より1時間後、というように、どんどん音の出がスムースになる。
そうなってはじめて、フレーズや譜面に取り掛かるべきなのだが、学生では多くの場合、音が出づらくなったころに、全体練習が始まる。

そのため、教師の側にはストレスがたまり、演奏する側には恐怖感が蓄積する。
悪循環である。

これも繰り返しになるが、練習時間をかけたことに、ある種の「達成感」を覚え、それでいいか、となりやすい。
効率的な練習においては、個人練1時間、全体練習2時間。
それくらいで充分だろう。

あとは、遊ぶなり、温泉に行くなりすればいい。
間違った方向にいくら時間をかけても、唇は傷めるし、虚無感は増すし、そうなると自分の「プライド」を守るため、人間は他人の悪口を云いはじめる。

自分が正しい方法で上達する実感が得られれば、放っておいてもその人は練習を続ける。なぜなら、楽しいからだ。
そして、仲間もそれを真似し始める。
10分は、このメニュー、次の10分はこれ、最後に10分、はい、できあがり、さて、始めましょうかという感じである。